• 2017年06月20日
  • リサの手作りカフェ

【リサの手作りカフェ】第26話「涼しい夏の思い出」【マンガ】

コウジとプーラはこっそりメルの通ってる大学へ侵入することになり……

 

 

出会いと別れとは

一人の一般的な日本人がまず一番最初に「別れ」を経験するのは…「卒園」なのかな?(笑)

幼稚園児の頃、好きな子がいたのですが別々の小学校になっちゃってそれからは一度も再会したことがありません。

この回はリサカフェのお話の本質の一つでもある部分に触れています。それは人の流れです。

 

もういい歳にもなると、出会いと別れをだいたい3年単位で繰り返すのでは無いでしょうか。それは、ネットとリアルに関わらずです。

大抵、人は現状必要な時に必要な人物に出会うだろうと僕はそこそこ確信を持って言えます。逆に縁がなかった場合はやはりそれなりに条件が合わなかったなと思うことも多いです。それは単純に自分の名誉や知名度が足りないとか金銭が少ないと言ったハッキリした残酷めなものから単純に価値観の違いなど様々です。

 

僕が何かうんうんと悩んでいると、次第にその悩みを解決する手助けになるだろう人物が現れ、その人たちと仲良くなり、解決していくと次第に離れて、また別の悩みができた時別のグループにいる、と言うようなことはみなさんもずっと繰り返しているはずだと思っています。大人の方だと転職や離婚、再婚などです。

そういう繰り返しをしないで何十年も同じグループにあなたがいるのなら、何も進歩してないと僕は言いたいです。それはいい意味でも悪い意味でもです。と言うか「進歩してない」に対していい意味だとか悪い意味だとかの価値を決めつけるの自分次第です。

 

僕は、いつかどこかへ落ち着きたいと願いながらいろんなところへさまよっています。地元のヤンキーが今でも中学の時の友達とガレージで酒を飲むだなんて、正直僕にとっては羨ましくもあります。アキバへ繰り出す男性がひたすら好きなアニメの感想をツイッターで発信し、ある一定の反響をもらえているのも羨ましいと思います。

何に対して羨ましいかと言うと、客観的に見て「あっ、私の居場所はここなんだな」と感じているように思えるところです。もしかしたら本当は何も無い薄っぺらな人生なのかもしれませんが、僕からすれば見る限り素敵なことだとも思えるわけです。

 

コウジくんは、ふと、自分が何かについてすごく悩んでいることを知ってしまったから、いつかはこの人たちと別れる時が来るのだろうなと感じたのです。悩みというのは解決するためにあると僕は思ってます。解決とは自分の中で内容を理解し、咀嚼して、飲み込むことです。コウジくんは、自分の悩みが晴れるその時まで、リサカフェの人たちと楽しく過ごすのだろうと思います。

 

コウジくんが最終的に自分の悩みにどういう判断を下すかはわかりませんが、判断がどうあれその先は別れなのです。そして別れることができるということは、自分が変われたという証拠でもあると思っています。

だからある意味では同じ人や界隈にずっといる人はすごく人間として完成されています。

逆にあちこちいく人はまだまだ未熟でしかも伸び代があるということだと思います。僕はどちらも素敵だと思います。

 

そんなコウジくんのことを見るのはちょーっとだけ辛い部分もあるかもしれませんが読者のみなさんには励ましの声をあげてやって欲しいと思っております(笑)

 

今日はそんな独り言でしたーっ!

【リサの手作りカフェ】第26話「涼しい夏の思い出」【マンガ】

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